MMORPGを語る・・・前に、RPGについて。(1日修正) | 外人チーターに花束を

MMORPGを語る・・・前に、RPGについて。(1日修正)

(1日わりとたくさん加筆修正)


MMORPGについて思うことが多少はまとまったと思うので語ろう

そのためにまず「RPGとは何か?」から考えたので今日はそれを。

もうとっくに誰か言ってるようなことかもしれないけど



RPGについて。

一般的にRPGといわれるゲームを構成する要素をおれなりに三つに分けると

1:ストーリーの存在。世界に事件が起こること

2;キャラクターはストーリーに対して大きな影響力をもつ中心的人物であること

3:レベリング(スキル制も含むキャラクターの成長)

になる。1と2はRPG以外のジャンルのゲームでも存在する

RPGが特徴的であり、MMORPG(への違和感の原因を)語る上でも重要になるのが3の「レベリング」にある

MMORPGを語る上でも重要になるのもここ


レべリングの意味

まずは単純に敵と戦うという楽しさ。様々な戦闘手段の中から戦術を自分なりに考え練り敵を倒していく楽しさ

そしてその繰り返しの末の自分の分身であるキャラクターが成長する喜び。


コンピュータゲームという娯楽の中の1ジャンルとしての意味

他の「ストーリーテリングのための表現の1形態」としてある小説漫画映画と一線を隔す部分

プレイヤが自ら戦術を選択し敵を撃破しキャラが成長していくことで物語は進んでいく

自分が能動的に物語と関わっているというコンピュータゲームならではの錯覚を与えること


最後にこれが今回一番重要な、ストーリーの中での意味。

キャラクタの強さはプレイヤーが世界に対してどれだけの影響力を持っているか?を示す数値でもある

その数値の上昇は物語の中でのキャラクターの存在位置が上昇したことも示すし

その強さがあってこそ物語は進展しキャラクターは新たな展開に沿ってより大きな敵に立ち向かっていける

つまりレベリングという行為はキャラクターの身体的成長のみならず心理的成長までも象徴しているし

だから特にレベリングが有効に働く物語は少年漫画的な成長物語(俗にいうビルなんとかロマンス)になるし

そうなっているものが多い


RPGにおいて敵との戦闘mレベリングは物語の一環であり有機的に繋がっている

そして「レベリング」はその性質上「成長物語」との相性が抜群にいい

成長物語をゲームで表現しようとするならRPGというジャンルが最も向いているともいえる



ストーリーから切り離してレベリングという行為からゲームとして出発してみよう

レベリングとは何かというとそれは「より大きな強さを得ていくこと」であり

ここでいう強さとは何か?というとこれはそのまま「暴力」に他ならない


暴力とは何か・・・説明の必要はないだろう

仮にレベリングはあるのに物語が不在で暴力のアウトライン(勧善懲悪的を基調にしたストーリ)がなく、

その行使目的と巨悪を倒すという暴力の収束地点が用意されていなかったらどうなるか?

とても非道徳的なゲームになる可能性のほうが高いだろう

だから意地悪い見方をすると一般的に言う(家庭用)RPGというゲームは

プレイヤーに暴力という後ろめたさを伴う快楽を罪悪感なく行使させるために

後ろめたさを払拭する大義を与え、快楽に変換する綺麗なストーリーでデコレーティングしているともいえる






今日はここまで。これらを踏まえて次はMMORPGの話

できれば今書きたいが長いし無理、つか次の更新はいつになるかなあ

まああとでまとめてひとつの記事にするかもしれない