MMORPGの物語とその終焉 | 外人チーターに花束を

MMORPGの物語とその終焉


前回「MMORPGにはストーリーはない」と書いた。
実際「大きな話の流れが存在し最終的にエンディングが用意されているMMORPG」というのは聞いたことが無い
が、MMORPGには本当にストーリーは全くないのか?というと、ある。
それも一つ一つの小さなクエストなどではない、レベリングと結びついた大きなストーリーがあった
あらかじめ決められたストーリ展開がなされなくとも、ラスボスが存在しなくとも確かにそれはあった
それはゲーム上で説明されない各人の頭の中の物語であったにも関らず、プレイヤーの誰しもが共有し、
ほとんどのMMORPGをMMORPGたらしめる理念として今も存在している



MMORPGというジャンルそのものが有しているレベリングと結びついた大きなストーリー、それは


「プレイヤー達の力で自由に未開の世界を切り開いていく」という「開拓劇」


だ。MMORPGには家庭用RPGにない最大の違いとして他人の存在がある
今は最早、MMORPGなんて特別な遊びなんかじゃない時勢だけれど
まだインターネット自体を極一部のモノ好きな人間しか使用していなかった頃、オンラインゲームは最先端の遊びだった
MMORPGの登場。本来一人で遊ぶものであったRPGが、多人数でプレイできるようになったということ、
町を、フィールドを、ダンジョンを歩いているキャラクタをプレイヤーが動かしている、それだけで大事件だった
pkや迷惑プレイなど特別変わった遊び方をしなくとも「強くなりながら世界中を冒険していく」

というRPGのもつ楽しみに「他プレイヤーとのコミュニケーションがある」

それだけでもうMMORPGは十二分に革新的で刺激的な遊びとして成立していた
例えゲーム側からプレイヤーに役割は課せられず、壮大なストーリが用意されてなかったとしても
プレイヤーは他のプレイヤー達と世界中を冒険していく物語を頭に描いていたし
その開拓劇の物語の中でレベルとレベリングはまだ意味をもっていた



開拓劇の物語はもともとMMORPGというジャンル自体の基盤として備わっていた
けれど物語は有限だった
MMORPGに慣れた多くのプレイヤーにとってはもうその物語は過去形のものになってしまった
いつだったか、強力な装備を携えた、おそらくレベリングを終えたであろうプレイヤ達が特に何をするでもなく街中で
「暇だなあ」と呟いているのを何度か見たことがある
ゲームをプレイしながら「暇だ」なんて言うなよな、、、と何か嫌な気分になったのだけど
でもその言葉も仕方が無いよなと後で考えるようになった。だって世界のリソースは無限じゃない
冒険を延々と続けていけばいつか世界中全てを開拓し尽くしてしまうのは当然だ
いくら映像の綺麗なMMORPGを新しく始めたところでもうやり始めたときののような楽しさは帰ってこない
何故なら新しい世界でもまた同じことを繰り返し、行き着いた先で同じ言葉を呟くと想像がついてしまっているのから
MMORPGに慣れたプレイヤーにとってもう開拓劇の夢は色あせ
かつて煌びやかだったその物語はとっくに死に体になってしまった
開拓劇の果てにあるエンディングが皮肉なことに現実と同じ「退屈」であると、プレイヤー達はもう知ってしまったのだから



次々と発表される新作はどれもこれまでにない目新しさがあるように広告されていた
しかしそれらの目新しさというのは実際には些細な変化といった程度のものでしかなく、

失われゆく物語の代わりとなるような根本的な構造改革というところまで至らなかった

ユーザーは次第に代わり映えしないMMORPGそのものに慣れていき、飽きていった

物語の失われたMMORPGの世界は次第にプログラムに支配されたデータの羅列にしか見えなくなっていく
その過程でレベルとレベリングも意味を失い取り残され、やがてただの作業に成り下がっていった




明日はまとめ